田边藩 (丹后国)
田边藩(日语:田辺藩/たなべはん Tanabe-han */?)是日本丹后国加佐郡田边的藩[注 1],元和8年8月12日(1622年9月17日)创藩,明治2年6月20日(1869年7月28日)改称为舞鹤藩(日语:舞鶴藩/まいづるはん Maizuru-han */?),明治4年7月14日(1871年8月29日)废藩置县,石高高峰期达35,000石,藩厅是田边城。藩校是天明年间(1781年至1789年)创立的明伦斋,文久2年(1862年)改称为明伦馆。
田边藩 | |
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别称 | 舞鹤藩 |
日语汉字 | 田辺藩 |
平假名 | たなべはん |
罗马拼音 | Tanabe-han |
创藩日期 | 元和8年8月12日(1622年9月17日) |
创藩理由 | 分知 |
所在地 | 日本丹后国加佐郡田边 |
藩厅 | 田边城 |
伺候席 | 雁间 |
藩邸 |
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废藩日期 | 明治4年7月14日(1871年8月29日) |
废藩理由 | 废藩置县 |
武士以外的人口在宝历6年(1756年)时是38,371人,元禄16年(1703年)时则有5,220户,明治2年(1869年)整体人口是12,541户55,076人。武家屋敷方面,根据《文化武鉴》记载,上屋敷位于江户桥对面,中屋敷是滨町,下屋敷则是本所猿江[注 2][4][5]。京屋敷根据《角川日本地名大辞典》记载,分别位于归命院前町和清水门前[注 3][1]。
历史
元和8年8月12日(1622年9月17日),原本领有丹后一国的京极高知死去,按江户幕府命令或高知遗愿,丹后一分为三,次子京极高三继承其中的35,000石,并且以田边城为居城,从而创立田边藩,当时的领地是加佐郡内的121村。宽文3年3月25日(1663年5月2日),京极高盛继任为藩主,并且分知2,000石予其弟京极高门,田边藩的石高也因此减至33,000石。宽文8年5月21日(1668年6月30日),高盛转封至但马丰冈藩,田边改由刚辞任京都所司代不久的牧野亲成以35,000石入主[4][1]。
延宝元年9月29日(1673年11月7日),亲成之弟牧野富成作为其养子而继位。元禄6年10月2日(1693年10月30日),富成侄子牧野英成作为其养子而继位。享保18年3月5日(1733年4月18日),加佐郡的农民请愿至田边城,翌年主谋被处死[4][6][7],宝历6年(1756年)也曾经爆发一揆。禁门之变爆发时,田边藩负责把守京都御所。其后,田边藩在第二次长州征讨时原本负责支援安艺国方面军势,不过江户幕府为了防范长州藩从若狭湾登陆而让田边藩返回丹后防备。鸟羽伏见之战后,田边藩归顺于山阴道镇抚使西园寺公望。明治2年6月20日(1869年7月28日),为了避免与同名的纪伊田边藩混淆,丹后田边藩以田边城的别称“舞鹤”作为藩名,更名为舞鹤藩。明治4年7月14日(1871年8月29日),废藩置县[1][5]。
历任藩主
家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 藩领 |
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京极家 | 外样 城持 |
京极高三 | 35,000石 | 丹后国加佐郡 |
京极高直 | ||||
京极高盛 | 33,000石 | |||
牧野家 | 谱代 城持 |
牧野亲成 | 35,000石 | |
牧野富成 | ||||
牧野英成 | ||||
牧野明成 | ||||
牧野惟成 | ||||
牧野宣成 | ||||
牧野以成 | ||||
牧野节成 | ||||
牧野诚成 | ||||
牧野弼成 |
领地
令制国 | 郡 | 领地 |
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丹后国 | 加佐郡 | 夏间村、金屋村、上野村、在田村、南山村、常津村、尾藤村、千原村、南有路村、北有路村、贰个村、市原谷村、三河村、高津江村、地头村、小俣村、大俣村、桑饲上村、泷宇吕村、冈田由利村、西方寺村、河原村、下见谷村、下漆原村、上漆原村、长谷村、富室村、志高村、久田美村、桑饲下村、上东村、三日市村、大川村、八户地村、八田村、丸田村、和江村、石浦村、由良村、神崎村、油江村、蒲江村、水间村、中山村、下东村、上福井村、下福井村、喜多村、大君村、吉田村、青井村、白杉村、京田村、十仓村、真仓村、七日市村、公文名村、伊佐津村、引土村、女布村、高野由里村、野村寺村、城屋村、田边乡新田町分、田边乡新田大野边分、圆满寺村、白泷村、寺田村、岸谷村、上根村、别所村、布敷村、池内村、堀村、今田村、万愿寺村、境谷村、仓谷村、福来村、天台村、清道村、上安村、上安久村、下安久村、和田村、长滨村、余部上村、余部下村、北吸村、滨村、森村、行永村、常村、木之下村、与保吕村、多门院村、堂奥村、沟尻村、市场村、泉源寺村、田中村、安冈村、小仓村、鹿原村、吉坂村、松尾村、杉山村、笹部村、登尾村、冈安村、白屋村、长内村、下谷村、朝来中村、大波上村、大波下村、平村、赤野村、中田村、多根寺村、河边中村、西屋村、室牛村、由里村、观音寺村、河边原村、栃尾村、大山村、田井村、成生村、野原村、小桥村、三滨村、濑崎村、大丹生村、千年村、佐波贺村 |
注解
参考资料
- ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、角田文卫、上岛有、足利健亮 (编). 田辺・田辺藩・帰命院前町・清水門前. 角川日本地名大辞典 京都府 上巻 総説・地名編. 角川日本地名大辞典 26 日本文学Web図書館. 角川书店. 1982-07-08. ISBN 4-040-01261-5 (日语).
- ^ 上屋敷 マップ. 人文学开放数据共同利用中心. [2023-11-10]. (原始内容存档于2022-08-15) (日语).
- ^ 安部晃司、陶木友治、仲藤里美. 中國 丹波 田辺藩. 江戸三百藩 まるごとデータブック. 人文社. 2007-04: 105. ISBN 978-4-795-91750-7 (日语).
- ^ 4.0 4.1 4.2 4.3 伊东宗裕. 丹後国. 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 近畿編 5 POD版. 雄山阁. 2002-04-15. ISBN 4-639-10039-6 (日语).
- 宮津藩. : 443–449.
- 田辺藩. : 449–455.
- ^ 5.0 5.1 衣笠安喜. 田辺藩(一). 国史大辞典编辑委员会 (编). 国史大辞典. 国史大辞典 9 JapanKnowledge (吉川弘文馆). 1988-09-30. ISBN 978-4-642-00509-8 (日语).
- ^ 牧野富成. kotobank (日语).
- ^ 牧野英成. kotobank (日语).
- ^ 旧高旧領取調帳データベース. 国立历史民俗博物馆. [2023-07-12]. (原始内容存档于2020-11-25) (日语).
外部链接
- 田辺藩〈丹後国〉. kotobank (日语).