国民体育大会冬季大会

国民体育大会冬季大会(日语:国民スポーツ大会冬季大会こくみんスポーツたいかいとうきたいかい Kokumin Supōtsu Taikai Tōki Taikai),简称冬季国体冬季国スポ),是日本每年开展的冬季综合运动会,由都道府县轮流举办,选手代表各自的都道府县参赛。

国民体育大会(国体)以第二次世界大战前举办的明治神宫竞技大会为前身,第1届大会日语第1回国民体育大会昭和21年(1946年)度(冬季大会为1947年1月)举办。国体由旨在振兴日本体育的《体育基本法》规定,由日本体育协会日语日本スポーツ協会文部科学省及成为举办地的都道府县共同举办[1]

冬季国体的正式竞技项目分为滑冰(分为速度滑冰短道速滑花样滑冰)、冰球滑雪(分为大曲道跳台滑雪越野滑雪北欧两项),共3竞技8项目。冰上的滑冰、滑雪竞技与雪上的滑雪竞技一般分为2个会期,在1月下旬至2月举行[2]

历史

明治神宫国民体育大会冬季大会

 
明治神宫体育大会首场冬季竞技金谷山滑雪场日语金谷山举行,现立有纪念碑(上越市)

国民体育大会(国体)的前身明治神宫体育大会以将滑雪传入日本的新潟县高田市(现上越市)为会场,于昭和2年(1927年)度(冬季为1928年2月)举行首场滑雪竞技会[3]滑冰竞技于昭和8年(1933年)度(冬季为1934年)举行,当时冰球竞技为滑冰竞技的一个项目[4]。昭和14年(1939年)度(冬季为1940年)起基于季节制,将滑雪与滑冰两场竞技会冠以“冬季大会”之名[5]

之后太平洋战争期间大会继续了一段时间,昭和18年(1943年)度冬季大会(1944年2月)以新潟县长冈市为会场,作为中央大会,全国一齐举行,开展了分列行进、滑雪体操、雪上战技训练等活动,是为终战前最后的大会[6]

第1届大会的举办

战争期间编入国家总动员体制的体育运动体育教育在战后成为大幅改革的对象。大日本体育会日语日本スポーツ協会理事长清濑三郎日语清瀬三郎反省以往专注培养部分菁英选手的日本体育,主张之后的体育必须基于大众,同时必须将体育与科学联系,促成健全发展,使大众安心而熟悉体育[7]。大日本体育会从政府外围团体回归民间团体,在战后混乱之中持“给予劳动者以休闲,为青少年的思想展示新方向,鼓励体育,向混乱的社会投入一抹清凉剂”的理念,当即开始活动[8]。由此大日本体育会成为体育大众化与民主化趋势的中心,于终战后不久的昭和21年(1946年)度(冬季大会为1947年)举办了国体的第1届大会日语第1回国民体育大会[9]

第1届国民体育大会冬季大会以青森县八户市为会场举办滑冰竞技会(速度滑冰日语国民体育大会冬季大会スケート競技会スピードスケート花样滑冰日语国民体育大会冬季大会スケート競技会フィギュアスケート冰球日语国民体育大会冬季大会アイスホッケー競技会)。在北海道与长野县举办滑雪竞技会的事项有过研讨,但因运输等问题中止。1948年(昭和23年)的冬季大会由于决定向冬夏秋三季大会综合成绩第1位的都道府县授予天皇杯日语天皇杯而转入第3届国体日语第3回国民体育大会,之后国体由年度制变为历年制。因此第2届的冬季国体空缺并非中止举办,冬季国体自第1届大会起每年都有举办[10][11]

发展

国体在日本体育振兴与地域开发方面发挥了大作用,但在长久的历史进程中延续了诸多问题[12]。进入2000年代后,大会的充实与活化,以及大会营运的精简与效率化成为发展方向[13]。之后“冬季大会对应计划”(冬季大会対応プロジェクト)形成,2007年总结形成以难以进展的冬季国体举办地选定方向与经费负担减轻对策为中心之“国民体育大会冬季大会发展相关提言”(国民体育大会冬季大会のあり方に関する提言[14]。为响应该提议,举办地交付金得到增加,体育振兴签日语スポーツ振興くじ(toto)得到促成,企业协赞制度得到推进,开闭幕式自第65届大会日语第65回国民体育大会(2010年)起与秋季的本大会合一,定位为各竞技会开始式及表彰式,以实现精简[15]

大会名称原定自2023年第78届大会日语第78回国民体育大会起由“国民体育大会冬季大会”变更为“国民スポーツ大会冬季大会[16],由于因2019冠状病毒疾病疫情中止的2020年第75届大会日语第75回国民体育大会改在2023年以不计入届数的“特别大会”形式举办,名称变更将于2024年第78届大会发生[17]

主办

国体由日本体育协会日语日本スポーツ協会(日体协)、文部科学省与成为举办地的都道府县三者共同举办,各竞技会由中央竞技团体(日本滑冰联盟日语日本スケート連盟日本冰球联盟日语日本アイスホッケー連盟全日本滑雪联盟)与成为会场地的市町村等举办[18]。国体是日本唯一由法律(《体育基本法》第26条)规定的体育赛事,作为日本政府的政策促进体育振兴[19]。起初国体由日体协单独举办,为民营形态,之后随文部省与成为举办地的都道府县加入主办者行列,逐渐营运成为行政色彩浓厚的赛事[9]

举办地

与本大会举办地的关系

成为国体冬季大会举办地的都道府县(下称举办地)与秋季的国体本大会举办地分别确定。举办地难以确保充足的设施与设备时,可使用举办地外设施开展比赛,但举办冬季大会与在举办地外开展本大会不同,本大会举办地并非共同举办冬季大会[18][注 1]

由本大会举办地主办冬季大会,且当年所有竞技均在单一都道府县开展的国体称为“完全国体”。完全国体过去举行了7届,2001年以来以岩手县为举办地的第71届大会日语第71回国民体育大会(希望乡岩手国体,2016年)为完全国体[21]

分布与流转

 
成为举办地的都道府县分布。图注文字自上而下分别为“滑冰、冰球竞技会”、“滑雪竞技会”、“两竞技会”(都举办过,但不是在同场大会)、“综合举办”(都举办过,且是在同场大会)

自在青森县举办第1届大会至2020年的第75届大会,有19个都道县成为举办地。冰上竞技(滑冰、冰球竞技会)多在室内开展而在城区举行,第67届大会日语第67回国民体育大会爱知县为迄今冬季国体最南的举办地。雪上竞技的滑雪竞技会在豪雪地带日语豪雪地帯容易举行,过去在山阴也有举办,1993年(第48届大会日语第48回国民体育大会)在鸟取县举办以来未在西日本举行[22][23]

由于冬季竞技特性,能成为举办地得都道府县有限,尤其是2000年代以来举办地选定难以进展,出现集中在特定都道府县举办的现象。为使举办地选定更加顺利,有提议将可能举办的都道府县编成数个区块并流转,至2018年未有具体的报告[14][15]

比赛项目

正式竞技

深入国民之间、受到广泛认可的竞技为“正式竞技”,是都道府县对抗综合表彰(天皇杯、皇后杯日语天皇杯)得分计算的对象[24]。正式竞技分为3个竞技(实质上为以下8个竞技)[2]

竞技 开始年份 种类 说明
滑冰 速度滑冰详情日语国民体育大会冬季大会スケート競技会スピードスケート   1947 全种类
短道速滑详情日语国民体育大会冬季大会スケート競技会ショートトラック   2001 全种类
花样滑冰详情日语国民体育大会冬季大会スケート競技会フィギュア   1947 全种类 仅第1届大会兼为全日本锦标赛日语全日本フィギュアスケート選手権
冰球详情日语国民体育大会冬季大会アイスホッケー競技会   1947 男子 第35届大会为止为滑冰竞技的一个项目。
滑雪 大曲道详情日语国民体育大会冬季大会スキー競技会アルペンスキー・ジャイアントスラローム   1948 全种类 第5届大会为止兼为全日本锦标赛日语全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技
跳台滑雪详情日语国民体育大会冬季大会スキー競技会ノルディックスキー・スペシャルジャンプ   1948 男子 第5届大会为止兼为全日本锦标赛日语全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・スペシャルジャンプ
越野滑雪详情日语国民体育大会冬季大会スキー競技会ノルディックスキー・クロスカントリー   1948 全种类 第5届大会为止兼为全日本锦标赛日语全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・距離
女子至第7届大会为止。
北欧两项详情日语国民体育大会冬季大会スキー競技会ノルディックスキー・コンバインド   1948 男子 第5届大会为止兼为全日本锦标赛日语全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・コンバインド

公开竞技、示范运动

不计入综合表彰,而是为普及竞技与向国民振兴体育而开展的竞技为“公开竞技”与“示范运动”(デモンストレーションスポーツ[24]。对于公开竞技,满足2008年所确定实施基准条件的运动作为冬季竞技并不容易,2009年的第64届大会日语第64回国民体育大会举行冬季两项竞技(详情日语国民体育大会冬季大会バイアスロン競技)以来未再开展[23][25]。较容易满足实施条件的示范运动自2010年以来以冬季两项为首,有冰壶等项目展开[26]

注释

  1. ^ 2013年的第68届大会日语第68回国民体育大会秋季本大会举办地为东京都,冬季大会滑冰竞技会举办地亦为东京都,冬季大会滑雪竞技会并非东京都主办,而且会场在秋田县鹿角市。反之,滑冰竞技会速度滑冰项目的会场在福岛县郡山市,举办地(主办)为东京都[20]

参考文献

  1. ^ 国民体育大会に関するQ&A. 日本体育协会日语日本スポーツ協会. [2018-04-01]. (原始内容存档于2018-03-15). 
  2. ^ 2.0 2.1 国民体育大会(国体)概要紹介. 日本体育协会. [2018-04-01]. (原始内容存档于2018-03-27). 
  3. ^ 朝日新闻社, 運動年鑑 昭和3年度, 朝日新闻社: 339–350, 1928 [2018-04-07], (原始内容存档于2023-01-02) 
  4. ^ 朝日新闻社, 運動年鑑 昭和9年度, 朝日新闻社: 351–369, 1934 [2018-04-07], (原始内容存档于2023-01-02) 
  5. ^ 厚生省. 第十回明治神宮国民体育大会報告書 (报告). 厚生省: 38,42,49. 1940. 
  6. ^ 戦前の記録. 新潟県スキー連盟. [2018-04-07]. (原始内容存档于2022-12-04). 
  7. ^ 清濑三郎日语清瀬三郎. 体育会の使命. 新体育 (新体育社). 1946-08, 6 (7): 1–4. 
  8. ^ 大日本体育会日语日本スポーツ協会. 昭和二十一年度事業概要報告書 (报告). 大日本体育会. 1947. 
  9. ^ 9.0 9.1 权学俊. 国民体育大会の研究―ナショナリズムとスポーツ・イベント. 青木书店. 2006: 11–12,34–37. ISBN 978-4250206313. 
  10. ^ 日本体育协会, 国民体育大会の歩み, 都道府县体育协会联络协议会: 122–123, 1978 
  11. ^ 国民体育大会(国体)第1回大会. 日本体育协会. [2018-04-07]. (原始内容存档于2022-12-03). 
  12. ^ 原田宗彦日语原田宗彦. わが国"巨大スポーツイベント・国体"の検証. 月刊体育施设 (体育施设出版). 1996-05, 25 (8): 86–88. 
  13. ^ 新しい国民体育大会を求めて~国体改革2003~ (PDF). 日本体育协会. 2003-03-25 [2018-04-07]. (原始内容存档 (PDF)于2021-02-25). 
  14. ^ 14.0 14.1 国民体育大会冬季大会のあり方に関する提言 (PDF). 日本体育协会. 2007-03-07 [2018-04-07]. (原始内容存档 (PDF)于2021-06-30). 
  15. ^ 15.0 15.1 21世紀の国体像~国体ムーブメントの推進~ (PDF). 日本体育协会. 2013-03-13 [2018-04-07]. (原始内容存档 (PDF)于2021-06-30). 
  16. ^ 「国体」から「国スポ」へ スポ協が略称変更を決定. 产经新闻. 2018-06-14 [2019-02-26]. (原始内容存档于2019-02-26). 
  17. ^ 鹿児島国体開催23年に正式決定 特別大会として実施. スポニチアネックス. 2020-10-09 [2021-08-25]. (原始内容存档于2022-10-22). 
  18. ^ 18.0 18.1 国民体育大会開催基準要項 (PDF). 日本体育协会. [2018-04-07]. (原始内容存档 (PDF)于2021-06-30). 
  19. ^ スポーツ基本法(平成23年法律第78号)第二十六条. 文部科学省. [2018-04-07]. (原始内容存档于2022-08-19). 
  20. ^ 第68回国民体育大会. スポーツ祭東京2013実行委員会. [2018-04-07]. (原始内容存档于2019-12-07). 
  21. ^ いわて国体は、どんな国体?. NHK盛冈放送局. 2014-01-16 [2018-04-07]. (原始内容存档于2015-06-13). 
  22. ^ こどもくらぶ, ウィンタースポーツ, スポーツ日本地図 4, 棒球杂志社日语ベースボール・マガジン社: 4–9,18–19,30, 2017, ISBN 9784583110349 
  23. ^ 23.0 23.1 国民体育大会(国体)過去大会の概要. 日本体育协会. [2018-04-07]. (原始内容存档于2018-01-26). 
  24. ^ 24.0 24.1 国民体育大会における実施競技について (PDF). 日本体育协会. [2018-04-08]. (原始内容存档 (PDF)于2022-11-30). 
  25. ^ 国民体育大会公開競技実施基準 (PDF). 日本体育协会. [2018-04-08]. (原始内容存档 (PDF)于2021-06-30). 
  26. ^ 希望郷いわて国体冬季大会実施競技. 岩手县. [2018-04-08]. (原始内容存档于2022-02-27).