八百屋于七

八百屋于七(1668年—1683年4月25日)是日本江户时代的一位少女,以于七火灾お七火事)事件而闻名。同时代的文学家井原西鹤以其为蓝本,加上自己的创作,收录在《好色五人女小说中。净瑠璃等也以其故事作为题材。

日语写法
日语原文八百屋お七
假名やおやおしち
平文式罗马字Yaoya Oshichi
八百屋于七。二代目歌川国辉所绘(1867)
位于圆乘寺的于七之

生平

于七生于宽文八年(1668年)[1],是在江户本乡经营八百屋的太郎兵卫的女儿。天和二年十二月廿八日(1683年1月25日)江户发生了天和大火,于七的家也被波及,因此暂时避居到家族的檀那寺-圆乘寺[2]。情窦初开的于七在那里邂逅了寺院杂役(寺小姓[3])生田庄之助[4],进而深深迷恋上他。后来新居落成,于七搬回新家,但仍然朝思暮想、不能自拔,竟然蹦出了“再次失火便能相见”的疯狂想法。于是于七在家中放火,但越看越害怕,急唤邻里前来救火,所幸火势很快就被扑灭,也没有造成大灾害。但是纵火在江户时代乃是重罪,祸首于七便被押赴奉行所衙门)审问。承办的奉行甲斐庄正亲听了于七的理由后,念其年少懵懂、心为情乱,加上未酿大祸,因此有意网开一面。甲斐庄发现于七的年龄是一个法律漏洞,能帮他脱罪,遂问于七今年是否15岁,因为当时律令规定15岁以下的少年犯得以减一级刑罚。但于七却十分坚持自己是16岁,而且提出证明。甲斐庄莫可奈何,只好判处于七死罪。天和三年三月廿九日(1683年4月25日),于七在铃森(鈴ヶ森)的刑场火刑而死,得年16岁。因为天和大火可谓改变于七一生的命运之火,所以后人也将天和大火称为“于七火灾”。

延伸阅读

书籍

  • 安西笃子 著‘历史を彩った悪女才女贤女’ 讲谈社、1985年、ISBN 978-4-062-02001-5
  • 石井 良助‘日本法制史概说’创文社、1960年
  • 井原西鹤 原著、吉行淳之介 现代语訳‘好色五人女’河出书房新社、1979年
  • 著者不明 天和笑委集 収录‘新燕石十种’第七巻、中央公论社、1982年
  • 曳尾庵“我衣”収录‘燕石十种’第1巻、中央公论社、1980年
  • 市川染五郎 (7代目) 监修、君野伦子 著‘歌舞伎のびっくり満吃図鉴’小学馆、2010年、ISBN 978-4-09-310768-6
  • 大曾根章助 他 编集‘研究资料日本古典文学第10巻 剧文学’明治书院、1983年
  • 歌舞伎座DVD book‘歌舞伎座さよなら公演 歌舞伎座さよなら公演16か月全记录 第5巻 九月大歌舞伎・芸术祭十月大歌舞伎’小学馆、2011年、付属解说书 およびDVD DISC 6
  • 黒木乔 著‘お七火事の谜を解く’教育出版、2001年、ISBN 4-316-35860-X
  • 国立剧场 编集‘国立剧场歌舞伎公演上演台本 135巻’1986年
  • 国立剧场芸能调查室 编集‘国立剧场上演资料集 248巻 天竺徳兵卫韩噺・歌舞伎十八番の内嫐・松竹梅雪曙 第135回歌舞伎公演’国立剧场、1986年
  • サライ责任编集‘十代目桂文治’昭和の名人完结编、小学馆、2011年、pp.11-12および付属CD“八百屋お七”
  • 高野辰之、黒木勘蔵 校正‘元禄歌舞伎杰作集’上巻、早稲田大学出版会、1925年
  • 竹野静雄 著‘江戸の恋の万华镜’新典社、2009年、ISBN 978-4-7879-6777-0
  • 田口章子 著‘歌舞伎ギャラリー50’学研、2008年、ISBN 4-054-03499-3
  • 谷胁理史 訳注‘好色五人女’角川学芸出版〈角川ソフィア文库〉、2008年、ISBN 978-4-04-408201-7
  • 冢本学 校注・解说 戸田茂睡 著‘御当代记 将军纲吉の时代’平凡社、1998年、ISBN 4-582-80643-0
  • 鹤屋南北 著 广末 保 他编集‘鹤屋南北全集’第8巻、三一书房、1972年
  • 利根川裕‘歌舞伎ヒロインの诞生’右文书院、2007年、ISBN 978-4-8421-0087-6
  • 长崎巌 监修、弓冈胜美编集‘きもの文様図鉴’平凡社、2005年、ISBN 4-582-62039-6
  • 日本古典文学全集‘浄瑠璃集’横山正 校注・訳。小学馆、1971年
  • 马场文耕“近世江都着闻集”収录‘燕石十种’第5巻、中央公论社、1980年
  • 藤田洋 编集‘文楽ハンドブック’第三版、三省堂、2011年、ISBN 978-4-385-41067-8
  • 双叶社スーパームック‘歌舞伎がわかる本’、双叶社、2012年、ISBN 978-4-575-45271-6
  • 美内すずえ‘ガラスの仮面’第36巻“火のエチュード”、白泉社、1989年
  • 水落洁 著‘歌舞伎鉴赏辞典’东京堂、1993年、ISBN 4-490-10352-2
  • 目代清 著‘近世歌舞伎舞踊作品-恋多き娘达’邦楽と舞踊社、2003年、ISBN 4-938401-03-7
  • 吉川弘文馆‘国史大辞典’5巻、1985年、ISBN 4-642-00505-6
  • 吉川弘文馆‘国史大辞典’11巻、1990年、ISBN 4-642-00511-0
  • 吉川弘文馆‘国史大辞典’13巻、1992年、ISBN 4-642-00513-7
  • 渡辺保 编‘カブキハンドブック’新书馆、1998年、ISBN 4-403-25035-1
  • 渡辺保 编‘カブキ101物语’新书馆、2004年、ISBN 978-4-403-25079-8

论文、记事

  • 加茂瑞穂“八百屋お七からお嬢吉三へ衣装デザインの创造について”‘アートリサーチ’Vol.11、立命馆大学アートリサーチセンター、2011年
  • 旷山人“八百屋お七考”复刻本集‘西鹤研究资料集成 昭和13年・14年’竹野静男监修、クレス出版、2010年
  • 国际浮世絵学会‘浮世絵芸术’162号、2011年、
  • 笹本まり子“八百屋お七恋桜操芝居について”‘丛’26号、近世文学研究丛の会、2005年
  • 塩村耕“‘好色五人女’八百屋お七の谜”‘国语と国文学’平成6年12月号、东京大学国语国文学会编、1994年
  • 高桥圭一“八百屋お七とお奉行様”‘江戸文学’29号、ペリカン社、2003年
  • 丹羽みさと“天和笑委集の特徴”‘立教大学日本文学’89号、立教大学日本文学会、2002年
  • 矢野公和“八百屋お七は実在したのか”‘西鹤と浮世草子’Vol.4、笠间书院、2010年
  • 竹野静雄“西鹤-海音の遗产 八百屋お七物の展开”‘日本文学’Vol.32、日本文学协会编集、1983年
  • 竹野静雄“八百屋お七物の轮郭--江戸小说を中心に”早稲田大学国文学会编集‘国文学研究’85号、早稲田大学国文学会 発行、1985年
  • 竹野静雄“八百屋お七の地方伝承”芸能学会编‘芸能’28巻1号、芸能発行所、1986年
  • 渡辺宪司“江戸サブカル纪行”‘大众文化’创刊准备号、立教大学江戸川乱歩记念大众文化研究センター、2008年

覗きからくりについて

  • 坂井美香“饴売りと覗きからくり”‘历史民俗资料学研究’第15号、神奈川大学大学院历史民俗资料学研究科、2010年
  • 林雅彦“絵解き・覗きからくり・立絵”‘国文学 解釈と鉴赏’第76巻10号、ぎょうせい、2011年
  • 上岛敏昭“のぞきからくり”‘国文学 解釈と鉴赏’第76巻10号、ぎょうせい、2011年

漫画

注释

  1. ^ 此说为后人推算。另一说为生于宽文六年(1666年),时年丙午。由于日本人有“丙午之女不吉”的迷信,而于七疯狂的行为与不幸的遭遇与此相当贴切,因此以讹传讹便有宽文六年出生的说法。
  2. ^ 或说在正仙寺
  3. ^ 也有僧侣武士等说法。
  4. ^ 一说名为左兵卫。在《好色五人女》小说中则为吉三郎。