回天
Kaiten 回天一型魚雷 | |
使用國家 | 日本 |
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排水量: | 8.3 噸 |
全長: | 14.75m |
直徑: | 1m |
推進系統: | 93 式 氧氣魚雷發動機
550HP |
燃料: | 過氧化氫、柴油 |
速度與距離: | 78公里(10節) 43公里(20節) 23公里(30節) |
乘員: | 1 |
武裝: | 1550kg 炸藥 |
回天(かいてん,Kaiten)是日本於第二次世界大戰間使用,一種由人手直接操舵的魚雷,是大日本帝國海軍於大戰最後時期的特攻作戰中使用的自殺式兵器。別稱有人間魚雷、的(てき)、〇六(マルロク)。「回天」之名來自當時逆轉戰局的願望(「天を回らし、戰局を逆転させる」之意)。
概要
回天由特殊潛航艇的乘員黑木博司大尉,仁科關夫中尉於1943年(昭和18年)構想並向海軍高層請求開發,但在永野修身海軍大將擔任軍令部長的期間內,永野始終拒絕簽署其開發命令。直到永野去職後的1944年2月26日,繼任的島田繁太郎就職第5日,隨着戰局不利才開始試作,1944年(昭和19年)8月正式被採用為兵器。同年9月於山口縣大津島的基地開始操作回天的組織。回天由水面艦用的匿跡魚雷(九三式魚雷)作為藍本設計。完成的「回天」直徑1公尺,魚雷內部可裝載乘員1名,乘員可由小型潛望鏡確認敵艦的位置與操縱魚雷,目標為增加對敵艦的命中率。「回天」所裝載的炸藥量高達1.55噸,為一般魚雷的3倍。完成後,黑木大尉自身搭乘回天於黑髮島海域訓練時因事故殉職(後昇為少佐)。
回天魚雷操縱困難,至投降為止接受過回天操縱訓練的海軍兵學校、海軍機關學校、預科練習生、預備學生共1,375人,出擊與戰死者實際僅有106人。戰果亦不大。
早期型的回天魚雷設有乘員逃逸系統,被設定為可容許乘員在魚雷的最後攻擊加速段啟動之前自魚雷中彈出,然而,未有任何記錄指示有乘員曾成功自釋放後的魚雷中逃生並返回潛艇或其他載具的記錄。後期的回天魚雷放棄了乘員逃逸系統的設定,一旦魚雷攻擊失敗,自毀系統可容許乘員手動自毀魚雷。
各型「回天」魚雷
回天共開發了五種不同型號,1-4型由九三式魚雷改造,10型由九二式魚雷改造。2、4、10型只製造了少量而且不曾投入作戰,3型還只是在概念階段。實際使用的1型有炸藥量1,360kg的彈頭,大約製造了400枚,實際使用了100多枚。
回天魚雷設計為放置於潛艦與水面艦的甲板上。一隻潛艦可以載運3-6基回天魚雷。雖然可以在潛航時使用,但其設計大大限制了搭載潛艦的潛航深度。搭載回天的潛艦經常成為美軍的目標,共有8艘潛艦被擊沉。回天戰果只有於1944年11月20日由開發者之一的仁科關夫親自駕駛擊沉了油輪USS Mississinewa、1945年7月24日擊沉了護衛驅逐艦USS Underhill。
出擊資料
1944年(昭和19年)11月8日菊水隊向烏利提(Ulithi)、帕勞方面初次出擊後至1945年8月間,分別有金剛隊、千早隊、神武隊、多多良隊、天武隊、振武隊、轟隊、多聞隊、神州隊等共28隊(潛水艦32隻、回天148基)。目的地為、新幾內亞至馬里亞納群島、沖繩等。
- 搭載母艦分別為:
- 菊水隊、伊三六潛、伊三七潛、伊四七潛(1944年11月8日出擊)。
- 金剛隊、伊五六潛、伊四七潛、伊三六潛、伊五三潛、伊五八潛、伊四八潛(1944年(12月1日~1945年(昭和20年)1月9日出擊)。
- 千早隊、伊三六八潛、伊三七零潛、伊四四潛(1945年2月20日、21日、22日出擊)
- 神武隊、伊五八潛、伊三六潛(1945年3月1日、2日出擊)
- 多多良隊、伊四七潛、伊五六潛、伊五八潛、伊四四潛(1945年3月28日~4月3日出擊)
- 天武隊、伊四七潛、伊三六潛(1945年4月20日、22日出擊)
- 振武隊、伊三六七潛(1945年5月5日出擊)
- 轟隊、伊三六一潛、伊三六三潛、伊三六潛、伊一六五潛(1945年5月24日~6月15日出擊)
- 多聞隊、伊五三潛、伊五八潛、伊四七潛、伊三六七潛、伊三六六潛、伊三六三潛(1945年7月14日~8月8日出擊)
設計圖
與回天相關的內容創作
- 漫畫:特攻之島(日文:特攻の島),作者:左藤 秀峰,出版:芳文社,年份:2006年
- 小說:沒有出口的海(日文:出口のない海),作者:橫山秀夫,出版:講談社文庫,年份:2004年8月
- 電影:沒有出口的海(日文:出口のない海), 松竹/原作橫山秀夫、監督佐々部清,年份:2006年
- 遊戲:
相關條目
參考文獻
- 板倉光馬 『続・あゝ伊號潛水艦』(光人社 ) - 元・回天隊參謀によるもの
- 板倉光馬『どん亀艦長青春記』(光人社) - 元・回天隊參謀によるもの
- 斎藤寛『鉄の棺』(光人社) - 元・金剛隊作戦時、伊五六潛、軍醫長によるもの
- 松平永芳『ああ黒木少佐』(1960年、私家版)
- 井星英『ああ黒木少佐』(1960年、私家版)
- 平泉澄『慕楠記』(1975年7月、岐阜県教育懇話會) - 慕楠黒木博司の記録
- 吉岡勲・編『ああ黒木博司少佐』(1979年、教育出版文化協會)
- 橫田寛『ああ回天特攻隊-かえらざる青春の記録』(1971年、光人社)
- 『別冊歴史読本 戦記シリーズ37 日本海軍軍艦総覧』(1997年、新人物往來社)
- 池田勝武「『伊366潛』と回天特攻 大戦末期、"どん亀"がたどった戦爭とは」 - 「伊三六六」乗組員。8月11日に3隻発進。
- 前田昌宏『回天菊水隊の四人』(光人社)
- 上原光晴『「回天」その青春群像』(2000年、翔雲社)
- 宮本雅史『回天の群像』(2008年、角川學芸出版)
- 『特攻 最後の証言』(2006年、アスペクト) - 元全國回天會會長・小灘利春の記事
- 『回天』(1976年、回天刊行會)
- 小灘利春、片岡紀明『特攻回天戦〜回天特攻隊隊長の回想』(2006年、光人社)
- 『人間魚雷 回天』(2006年、ザメディアジョン)
- 小島光造『回天特攻 人間魚雷の徹底研究』(光人社)
- 鳥巣建之助『特攻兵器「回天」と若人たち』(1983年、新潮社)
- 吉田俊雄. 指揮官たちの太平洋戦争 青年士官は何を考え、どうしようとしたか. 光人社. 1984年8月. ISBN 4-7698-0242-0.
- 雑誌「丸」編集部『寫真 日本の軍艦 第12巻 潛水艦』(光人社、1990年、ISBN 978-4-7698-0462-8)
- 神津直次『人間魚雷回天』(1995年、朝日ソノラマ)
- 神立尚紀『戦士の肖像』(2004年、文春ネスコ)
- 『特攻 最後の証言』 (アスペクト、2006年)
- 宮本雅史『回天の群像』(2008年、角川學芸出版)
- 証言記録「兵士たちの戦爭」〜回天特別攻撃隊 (2009年2月、NHK-BShi、ドキュメンタリー)
- ある人生『回天の遺書』(1969年7月2日、NHK、ドキュメンタリー)
外部連結
- 回天特攻隊(頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)(日語)
- 周南市回天記念館(頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)(日語)
- 回天特別攻撃隊(頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)(日語)
- Kamikaze Submarine(頁面存檔備份,存於互聯網檔案館) (英文)
- USS Bowfin Submarine Museum & Park (英文)
- US Navy Historical Center(頁面存檔備份,存於互聯網檔案館) (英文)
- Pictorial account of types 1 and 2 kaitens(頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)(英文)
- The Kaiten Mark II at the New Jersey Naval Museum in Hackensack, NJ(頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)(英文)
- 人間魚雷 回天(鳥飼行博研究室)(日語)
- YouTube上的返信(song/「出口のない海」主題曲)