三上藩
三上藩(日语:三上藩/みかみはん Mikami-han */?)是日本近江国野洲郡三上的藩[注 1],元禄11年3月7日(1698年4月17日)创藩,明治3年4月14日(1870年5月14日)转移至和泉国日根郡吉见而改名为吉见藩(日语:吉見藩/よしみはん Yoshimi-han */?)[注 2],明治4年7月14日(1871年8月29日)废藩,石高在高峰期达12,000石,藩厅先后是三上阵屋和吉见阵屋。武家屋敷方面,江户藩邸上屋敷先后设于元誓愿寺前、一桥外、神田桥外、大名小路、辰之口和芝将监桥,下屋敷先后设于筋违桥外、本所猿江、牛込若宫町和神田桥外[3][4][5][注 3]。
三上藩 | |
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别称 | 吉见藩 |
日语汉字 | 三上藩 |
平假名 | みかみはん |
罗马拼音 | Mikami-han |
创藩日期 | 元禄11年3月7日(1698年4月17日) |
创藩理由 | 转封 |
大名家 | 远藤家 |
伺候席 | 菊间广缘,元禄5年5月9日(1692年6月23日)起 雁间,文久元年7月15日(1861年8月20日)起 |
废藩日期 | 明治4年7月14日(1871年8月29日) |
废藩理由 | 废藩置县 |
历史
元禄5年3月30日(1692年5月15日),美浓郡上藩藩主远藤常久死去,年仅7岁,由于没有继嗣而被改易。其后,江户幕府将军德川纲吉侧室瑞春院的姨甥作为美浓大垣藩藩主户田氏成养子而继承远藤家,即远藤胤亲。同年5月9日(6月23日),胤亲获赐常陆国真壁郡、那珂郡、下野国芳贺郡和都贺郡内10,000石[注 4][3][1]。
元禄11年3月7日(1698年4月17日),胤亲的领地转移至近江国野洲郡、栗太郡、甲贺郡和滋贺郡,阵屋设于野洲郡三上,三上藩正式成立。享保18年9月25日(1733年11月1日),胤亲之子远藤胤将继位。明和8年6月4日(1771年7月15日),胤将之弟远藤胤忠继位。宽政2年2月20日(1790年4月4日),三河吉田藩藩主松平信复五子作为胤忠养子而继位,即远藤胤富。文化8年6月23日(1811年8月11日),美浓大垣藩藩主户田氏教三子作为胤富养子而继位,即远藤胤统。天保3年5月2日(1832年5月31日),美浓高须藩松平义和三子成为胤统养子,即远藤胤昌[3][9][10][11]。
天保4年(1833年)9月,领地近江国野洲郡2村和滋贺郡10村替地至和泉国日根郡和近江国甲贺郡内。天保13年10月16日(1842年11月18日),三上藩爆发名为三上骚动的一揆。嘉永5年5月2日(1852年6月19日),江户城西之丸焚毁。同年8月7日(9月20日),胤统奉命重建西之丸,并且相应地在同年12月25日(1853年2月3日)获加增远江国山名郡内2,000石。嘉永7年11月24日(1855年1月12日),胤统奉命兴建内海台场。安政3年6月27日(1856年7月28日),养子胤昌死去。同年10月19日(11月16日),胤统三子远藤胤城成为胤统名义上的嫡孙[3]。
万延元年4月15日(1860年6月4日),胤统获列为城主格。同年12月15日(1861年1月25日),领地和泉国日根郡、近江国甲贺郡、野洲郡、栗太郡和远江国山名郡内的18村5,000石的贫瘠土地获替地至和泉国和泉郡、安房国安房郡和平郡内7,000石,同时在和泉国内获赐阵屋用地。文久3年10月7日(1863年11月17日),胤城继位。元治元年8月14日和庆应2年6月18日(1864年9月14日和1866年7月29日),长州征讨先后爆发,三上藩均有派兵参战。庆应4年(1868年)正月,三上藩的阵屋和领地一度被东山道镇抚总督岩仓具定收回,同年5月29日(7月18日)获交还。明治元年10月10日(1868年11月23日),安房国的领地约5,120石替地至上总国望陀郡内约5,204石。明治3年4月14日(1870年5月14日),阵屋转移至和泉国日根郡吉见而创立吉见藩。明治4年7月14日(1871年8月29日),废藩置县[3][12]。
历任藩主
家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 领地 |
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远藤家 | 谱代 阵屋 |
远藤胤亲 | 10,000石 | 近江国野洲郡、栗太郡、甲贺郡和滋贺郡 |
远藤胤将 | ||||
远藤胤忠 | ||||
远藤胤富 | ||||
谱代 阵屋 ↓ 谱代城主格 |
远藤胤统 | 10,000石 ↓ 12,000石 |
近江国野洲郡、栗太郡、甲贺郡和滋贺郡 ↓ 近江国野洲郡、栗太郡和甲贺郡和泉国日根郡 ↓ 近江国野洲郡、栗太郡和甲贺郡和泉国日根郡 远江国山名郡 ↓ 近江国野洲郡、栗太郡和甲贺郡和泉国日根郡和和泉郡 安房国安房郡和平郡 | |
谱代 阵屋 |
远藤胤城 | 12,000石 | 近江国野洲郡、栗太郡和甲贺郡 和泉国日根郡和和泉郡 安房国安房郡和平郡 ↓ 近江国野洲郡、栗太郡和甲贺郡和泉国日根郡和和泉郡 上总国望陀郡 |
领地
令制国 | 郡 | 领地 |
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近江国 | 滋贺郡(10村) | 今坚田村、滨村、小野村、今宿村、同村新开、中村、高城村、南船路村、荒川村、南小松村、北小松村 |
野洲郡(8村) | 八夫村、安治村、小田村、江头村、北村、上永原村、三上村、同村巳新开、同村戌新开、冈村 | |
栗太郡(5村) | 东目川村、酉改出作田、西目川村、阿村、手原村、野尻村 | |
甲贺郡(4村) | 植村、朝国村、大野村、小川出村 |
令制国 | 郡 | 领地 |
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安房国 | 平郡 | 正木、龟原(亀ヶ原)、下堀、上堀、大津 |
安房郡 | 北条、北条村之中安布里出作、北条村之中新宿、北条村之中大网出作、北条村之中上野原、高井、古川新田、八幡、凑 | |
上总国 | 望陀郡 | 谷中、中岛、瓜仓、神代、上望陀、下望陀、神纳、三股新田、牛込、奈良轮、中野、三黑 |
和泉国 | 和泉郡 | 父鬼村、若㭴村、南面利村、善正村、大野村、佛并村、坪井村、大泽村 |
日根郡 | 吉见村、黑田村、新村、波有手村 | |
近江国 | 栗太郡 | 西目川村、东目川村、手原村 |
野洲郡 | 三上村、北村 | |
甲贺郡 | 朝国村、植村、下矶尾村 |
注解
参考资料
- ^ 1.0 1.1 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、石川正知、小林博、高桥昌明、畑中诚治、平田守卫 (编). 三上藩・三上. 角川日本地名大辞典 滋賀県. 角川日本地名大辞典 25 日本文学Web図書館. 角川书店. 1979-04-08. ISBN 4-040-01250-X (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、有坂隆道、小林博、作道洋太郎、藤本笃 (编). 吉見・樫井. 角川日本地名大辞典 大阪府. 角川日本地名大辞典 27 日本文学Web図書館. 角川书店. 1983-10-08. ISBN 4-040-01270-4 (日语).
- ^ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 近畿編 5 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 188–198. ISBN 4-639-10039-6 (日语).
- 寺井秀七郎. 三上藩. : 53–61.
- 渡边忠司. 吉見藩. : 295–296.
- ^ 藩主人名事典编纂委员会 (编). 三百藩藩主人名事典 3. 新人物往来社. 1987-04-10. 国立国会图书馆书志ID:000001879214 (日语).
- ^ 5.0 5.1 东京都 (编). 二 帝都(一). 東京市史稿 市街編. 东京市史稿 49 (东京都). 1960-03-25: 541–544. 国立国会图书馆书志ID:000001226894 (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次 (编). 元誓願寺前・大名小路・新堀町・猿. 角川日本地名大辞典 東京都. 角川日本地名大辞典 13 日本文学Web図書館. 角川书店. 1978-10-27. ISBN 4-040-01130-9 (日语).
- ^ 上屋敷 マップ. 人文学开放数据共同利用中心. [2024-09-08] (日语).
- ^ 8.0 8.1 安部晃司、陶木友治、仲藤里美. 三上藩. 江戸三百藩 まるごとデータブック. 人文社. 2007-04: 86. ISBN 978-4-795-91750-7 (日语).
- ^ 遠藤胤富. kotobank (日语).
- ^ 遠藤胤統. kotobank (日语).
- ^ 松平義和. kotobank (日语).
- ^ 12.0 12.1 高岛幸次、河崎幸一. 三上藩陣屋跡. 柴田实、木村至宏、网野善彦、井上满郎、吉村亨 (编). 滋賀県の地名. 日本历史地名大系 25 JapanKnowledge. 平凡社. 1991-02-20. ISBN 4-582-49025-5 (日语).
- ^ 国立史料馆 (编). 第二節 領主地頭とその変遷 1 代官・東氏遠藤家・斎藤家. 野洲町史 通史編 2. 野洲町. 1987-03-31: 189–190. 国立国会图书馆书志ID:000001860090 (日语).
- ^ 旧高旧領取調帳データベース. 国立历史民俗博物馆. [2024-09-02] (日语).