日本室町時代年號列表

維基媒體列表條目

日本自第三十六代孝德天皇即位並建元大化起開始使用年號(日語:元号げんごう Gengō)為其紀年方式,並在文武天皇於701年5月3日(大寶元年三月二十一日)再度恢復使用年號後,一直持續使用年號至今。日本的年號常取中國古籍中的辭句為典故,而改元的原因除天皇即位外,多數出於迷信及牽強附會。因天皇即位而進行的改元通常在天皇即位翌年進行,但有時候也會因為亂世而不在天皇即位翌年改元。日本自醍醐天皇起開始因「辛酉革命」的緣故在辛酉年進行改元(當時為901年,由昌泰四年改元延喜),並自村上天皇起開始因「甲子革令」的緣故在甲子年進行改元(當時為964年,改元康保)。日本自醍醐天皇起也會因災禍等不祥之事而改元(當時為923年,改元延長)。[1]

後小松天皇所改的年號「應永」是除一世一元制施行後所改的年號「明治」與「昭和」外使用時間最長的日本年號

平安時代中期(天德應和年間)起,改元之事均載於改元宸記中,而改元的程序也確立為先由大臣上奏年號勘文,然後天皇於選定會議中決定新年號。雖然自鎌倉時代起,日本的政治實權落入武家手中,然而武家政權一般不會干涉朝廷進行改元,直至江戶時代幕府方開始插手改元事務[2]。《明德和約》締結後的首個室町時代年號「應永」使用時間達33年又9個月又22日[3],是除一世一元制施行後所改的年號「明治」(使用時間43年又9個月又8日)[4][5]與「昭和」(使用時間62年又14日)[6][7]外使用時間最長的日本年號[8]

以下列表僅收錄《明德和約》締結後室町時代(含戰國時代[註 1]啓用的日本年號,南北朝時代啓用的日本年號請分別參見日本南朝年號列表日本北朝年號列表。以下列表中,各年號的使用期與典故主要出自小學館出版的《日本大百科全書》,而每個年號的典故都分別附上維基文庫的文本連結供參考(如有)。

列表

年號 使用期
西曆年月日)
使用期
和曆年月日)
在位天皇 改元理由 典故 參考
來源
應永 1394年8月2日

1428年6月9日
元年七月初五日

三十五年四月二十六日
後小松天皇 疱瘡
干魃
唐會要》:「久應得[註 2]之。永有天下。」[11] [10][3]
稱光天皇
正長 1428年6月10日

1429年10月2日
元年四月二十七日

二年九月初四日
(無) 禮記正義·大學》:「在位之君子,威儀不有[註 3]差忒,可以正長是四方之國。」[14] [12][13]
後花園天皇
永享 1429年10月3日

1441年3月9日
元年九月初五日

十三年二月十六日
後花園天皇即位 漢書[註 4]·王莽傳》:「能立巍巍[註 5]之功,傳于子孫,永享無窮之祚。」[17] [15][16]
嘉吉 1441年3月10日

1444年2月22日
元年二月十七日

四年二月初四日
辛酉革命 周易·隨》:「孚於嘉,吉;位正中也。」[18] [19]
文安 1444年2月23日

1449年8月15日
元年二月初五日

六年七月二十七日
甲子革令
  • 尚書·虞書·堯典》:「放勳,欽、明、文、思、安安。」[20]
  • 晉書·周處傳·處幼子劄》:「尊文,安漢社稷。」[21]
[22]
寶德 1449年8月16日

1452年8月9日
元年七月二十八日

四年七月二十四日
水害
地震
疾疫
饑饉
舊唐書·禮儀三》:「朕惟寶行三德[註 6],曰慈、儉、謙。」[25] [23][24]
享德 1452年8月10日

1455年9月5日
元年七月二十五日

四年七月二十四日
三合厄
疱瘡流行
《尚書·周書·微子之命》:「世世享德,萬邦作式。」[26] [27]
康正 1455年9月6日

1457年10月15日
元年七月二十五日

三年九月二十七日
兵革連綿 史記·宋微子世家》、《尚書·周書·洪範》:「平康正直。」[28][29] [30]
長祿 1457年10月16日

1461年1月31日
元年九月二十八日

四年十二月二十日
病患
炎旱
韓非子·解老》:「其建生也長,持祿也久。」[31] [32]
寬正 1461年2月1日

1466年3月13日
元年十二月二十一日

七年[註 7]二月二十七日
天下饑饉日語長禄・寛正の飢饉 孔子家語·觀周》:「外寬而內正。」[34] [35]
後土御門天皇
文正 1466年3月14日

1467年4月8日
元年二月二十八日

二年三月初四日
後土御門天皇即位 荀子·王制》:「積文學,正身行。」[36] [37]
應仁 1467年4月9日

1469年6月7日
元年三月初五日

三年四月二十七日
兵革日語御霊合戦 維城典訓》:「仁之感物,物之應仁,若影隨形,猶聲致響。」 [38]
文明 1469年6月8日

1487年8月8日
元年四月二十八日

十九年七月十九日
兵革 《周易·同人》:「文明以健。中正而應。君子正也。」[39] [40]
長享 1487年8月9日

1489年9月15日
元年七月二十日

三年八月二十日
外宮炎上
疫疾
兵革
文選·為曹公作書與孫權》:「喜得全功,長享其福。」[41] [42]
延德 1489年9月16日

1492年8月11日
元年八月二十一日

四年七月十八日
天變
疾疫
孟子註疏·題辭解[註 8]》:「開延道德。」[45] [43][44]
明應 1492年8月12日

1501年3月17日
元年七月十九日

十年二月二十八日
疾疫流行
  • 《文選·檄吳將校部曲文》:「德行脩[註 9]明。皆宜膺受多福[註 10],保乂[註 11]子孫。」[47]
  • 《周易·大有》:「其德剛健而文明,應乎天而時行,是以元亨。」[48][註 12]
[46][44]
後柏原天皇
文龜 1501年3月18日

1504年3月15日
元年二月二十九日

四年二月二十九日
後柏原天皇即位
辛酉革命
爾雅·釋魚》:「一曰神龜,二曰靈龜,三曰攝龜,四曰寶龜,五曰文龜。」[50] [51]
永正 1504年3月16日

1521年9月22日
元年二月三十日

十八年八月二十二日
甲子革令 孔子集語·六藝四上》:「《周易乾鑿度[註 13]孔子曰:『永貞其道,咸受吉化,德施[註 14]四海,能繼天道。』」[54] [52][53]
大永 1521年9月23日

1528年9月2日
元年八月二十三日

八年八月十九日
兵革
天變
元豐類稿·乞賜唐六典狀[註 15]》:「庶務,至微至密。其大則以永業。」[56] [55][53]
後奈良天皇
享祿 1528年9月3日

1532年8月28日
元年八月二十日

五年七月二十八日
後奈良天皇即位 伊川易傳·大畜》:「居天位,享天祿也。」[57] [58]
天文 1532年8月29日

1555年11月6日
元年七月二十九日

二十四年十月二十二日
兵革 《尚書注·舜典》:「舜察天文,齊七政。」[59][註 16] [61]
弘治 1555年11月7日

1558年3月17日
元年十月二十三日

四年二月二十七日
兵革 北齊書》:「祗承寶命,志弘治體。」[註 17] [63]
正親町天皇
永祿 1558年3月18日

1570年5月26日
元年二月二十八日

十三年四月二十二日
正親町天皇即位 羣書治要·卷第二十六》:「能保世持家,永全福祿者也。」[64] [65]

註釋

  1. ^ 此處取1568年(永祿十一年)為室町時代的結束時間、安土桃山時代的開始時間。[9]
  2. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均作「稱」。[10][3]
  3. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均缺「有」字。[12][13]
  4. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均誤作另一史書《後漢書》。[15][16]
  5. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均作通假字「魏魏」。[15][16]
  6. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均作「朕寶三德」。[23][24]
  7. ^ 《日本年號大觀》誤作「六年」。[33]
  8. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均僅作《孟子》。[43][44]
  9. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均作「修」。[46][44]
  10. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均作「皆應受多福」。[46][44]
  11. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均作「又」[46][44],其中前者在「又」字前多出「中」字[46],依後者推斷為返點[44]
  12. ^ 後醍醐天皇的年號「元亨」也以此句為典故。[49]
  13. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均僅作《易緯》。[52][53]
  14. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均作「弘」,並在旁括註「施」。[52][53]
  15. ^ 《日本大百科全書》與《日本年號大觀》均誤作政書通典》(又作《杜氏通典》)。[55][53]
  16. ^ 仁孝天皇的年號「文政」也以此句為典故。[60]
  17. ^ 《北齊書》實際文本未見此句。[62]

參考資料

  1. ^ 森本 1933,第3, 7-8, 10-12, 160頁.
  2. ^ 森本 1933,第15, 24, 39頁.
  3. ^ 3.0 3.1 3.2 森本 1933,第253頁.
  4. ^   今後年號ハ御一代一號ニ定メ慶應四年ヲ改テ明治元年ト爲ス及詔書. 維基文庫. 1868-10-23. 
  5. ^   明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト爲ス. 維基文庫. 1912-07-30. 
  6. ^   昭和ト改元. 維基文庫. 1926-12-25. 
  7. ^   元号を改める政令. 維基文庫. 1989-01-07. 
  8. ^ 森本 1933,第106頁.
  9. ^ 安土桃山時代. デジタル大辞泉. 小學館. 2012 [2021-02-19]. (原始內容存檔於2021-01-14). 織田信長がはじめて入京した永禄11年(1568)から、また一説に天正元年(1573)から、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝った慶長5年(1600)までの約30年間。美術史上でも一時代を成す。織豊(しょくほう)時代。 
  10. ^ 10.0 10.1 小學館 1994〔天皇〕後小松(ごこまつ)、称光(しょうこう)〔改元理由〕疱瘡(ほうそう)、干魃(かんばつ)などによる〔改元年月日〕明徳(めいとく)5年(1394)7月5日応永と改元、応永35年(1428)4月27日正長(しょうちょう)と改む〔出典〕『会要』の「久応称之、永有天下」によるという.
  11. ^ 王溥.   唐會要 卷六十七. 維基文庫, 67. 
  12. ^ 12.0 12.1 小學館 1994〔天皇〕称光(しょうこう)、後花園(ごはなぞの)〔改元理由〕不明〔改元年月日〕応永(おうえい)35年(1428)4月27日正長と改元、正長2年(1429)9月5日永享(えいきょう)と改む〔出典〕『礼記(らいき)正義』の「在位之君子、威儀不差忒、可以正長是四方之国」による.
  13. ^ 13.0 13.1 森本 1933,第254頁.
  14. ^ 孔穎達.   大學第四十二. 維基文庫, 60. 
  15. ^ 15.0 15.1 15.2 小學館 1994〔天皇〕後花園(ごはなぞの)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕正長(しょうちょう)2年(1429)9月5日永享と改元、永享13年(1441)2月17日嘉吉(かきつ)と改む〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』の「能立魏々之功、伝于子孫、永享無窮之祚」による.
  16. ^ 16.0 16.1 16.2 森本 1933,第255頁.
  17. ^ 班固.   王莽傳. 維基文庫, 99中. 
  18. ^   . 維基文庫, 17. 
  19. ^ 小學館 1994〔天皇〕後花園(ごはなぞの)〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による〔改元年月日〕永享(えいきょう)13年(1441)2月17日嘉吉と改元、嘉吉4年(1444)2月5日文安(ぶんあん)と改む〔出典〕『易経』随卦(ずいか)・象上伝の「孚于嘉吉、位正中也」による.
  20. ^   堯典. 維基文庫. 
  21. ^ 房玄齡.   處幼子劄. 維基文庫, 58. 
  22. ^ 小學館 1994〔天皇〕後花園(ごはなぞの)〔改元理由〕甲子(かっし)革令による〔改元年月日〕嘉吉(かきつ)4年(1444)2月5日文安と改元、文安6年(1449)7月28日宝徳(ほうとく)と改む〔出典〕『書経』堯典の「放勲欽明文思安安」、『晋書(しんじょ)』巻58周札(しゅうさつ)伝の「尊文安漢社稷」による.
  23. ^ 23.0 23.1 小學館 1994〔天皇〕後花園(ごはなぞの)〔改元理由〕水害、地震、疾疫、飢饉(ききん)による〔改元年月日〕文安(ぶんあん)6年(1449)7月28日宝徳と改元、宝徳4年(1452)7月25日享徳(きょうとく)と改む〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』巻23礼楽の「朕宝三徳、曰慈倹謙」による.
  24. ^ 24.0 24.1 森本 1933,第257頁.
  25. ^ 劉昫.   禮儀三. 維基文庫, 23. 
  26. ^   微子之命. 維基文庫. 
  27. ^ 小學館 1994〔天皇〕後花園(ごはなぞの)〔改元理由〕三合厄、疱瘡(ほうそう)の流行による〔改元年月日〕宝徳(ほうとく)4年(1452)7月25日享徳と改元、享徳4年(1455)7月25日康正(こうしょう)と改む〔出典〕『書経』周書・微子(びし)之命の「世世享徳、万邦作式」による.
  28. ^ 司馬遷.   宋微子世家. 維基文庫, 38. 
  29. ^   洪範. 維基文庫. 
  30. ^ 小學館 1994〔天皇〕後花園(ごはなぞの)〔改元理由〕兵革連綿による〔改元年月日〕享徳(きょうとく)4年(1455)7月25日康正と改元、康正3年(1457)9月28日長禄(ちょうろく)と改む〔出典〕『史記』巻38および『書経』洪範(こうはん)の「平康正直」による.
  31. ^ 韓非.   解老. 維基文庫, 20. 
  32. ^ 小學館 1994〔天皇〕後花園(ごはなぞの)〔改元理由〕病患、炎旱(えんかん)による〔改元年月日〕康正(こうしょう)3年(1457)9月28日長禄と改元、長禄4年(1460)12月21日寛正(かんしょう)と改む〔出典〕『韓非子(かんぴし)』巻6解老の「其建生也長、持禄也久」による.
  33. ^ 森本 1933,第259頁.
  34. ^ 孔子.   觀周第十一. 維基文庫, 3. 
  35. ^ 小學館 1994〔天皇〕後花園(ごはなぞの)、後土御門(ごつちみかど)〔改元理由〕天下飢饉(ききん)による〔改元年月日〕長禄(ちょうろく)4年(1460)12月21日寛正と改元、寛正7年(1466)2月28日文正(ぶんしょう)と改む〔出典〕『孔子家語(こうしけご)』の「外寛而内正」による.
  36. ^ 荀子.   王制篇. 維基文庫, 9. 
  37. ^ 小學館 1994〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕寛正(かんしょう)7年(1466)2月28日文正と改元、文正2年(1467)3月5日応仁(おうにん)と改む〔出典〕『荀子(じゅんし)』巻5王制の「積文学正身行」による.
  38. ^ 小學館 1994〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)〔改元理由〕兵革による〔改元年月日〕文正(ぶんしょう)2年(1467)3月5日応仁と改元、応仁3年(1469)4月28日文明(ぶんめい)と改む〔出典〕『維城典訓』の「仁之感物、物之応仁、若影随形、猶声致響」による.
  39. ^   同人. 維基文庫, 13. 
  40. ^ 小學館 1994〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)〔改元理由〕兵革による〔改元年月日〕応仁(おうにん)3年(1469)4月28日文明と改元、文明19年(1487)7月20日長享(ちょうきょう)と改む〔出典〕『易経』同人卦(か)の「文明以健、中正而応、君子正也」による.
  41. ^ 阮瑀.   為曹公作書與孫權. 維基文庫, 42. 
  42. ^ 小學館 1994〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)〔改元理由〕外宮炎上、疫疾、兵革による〔改元年月日〕文明(ぶんめい)19年(1487)7月20日長享と改元、長享3年(1489)8月21日延徳(えんとく)と改む〔出典〕『文選(もんぜん)』巻9の「喜得全功、長享其福」による.
  43. ^ 43.0 43.1 小學館 1994〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)〔改元理由〕天変、疫疾などによる〔改元年月日〕長享(ちょうきょう)3年(1489)8月21日延徳と改元、延徳4年(1492)7月19日明応(めいおう)と改む〔出典〕『孟子(もうし)』の「開延道徳」によるという.
  44. ^ 44.0 44.1 44.2 44.3 44.4 44.5 44.6 森本 1933,第262頁.
  45. ^ 趙岐.   孟子注疏題辭解. 維基文庫. 
  46. ^ 46.0 46.1 46.2 46.3 46.4 小學館 1994〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)、後柏原(ごかしわばら)〔改元理由〕疾疫の流行による〔改元年月日〕延徳(えんとく)4年(1492)7月19日明応と改元、明応10年(1501)2月29日文亀(ぶんき)と改む〔出典〕『文選(もんぜん)』巻10「徳行修明、皆応受多福、保中又子孫」、『易経』大有卦(だいゆうか)の「其徳剛健而文明、応乎天而時行」による.
  47. ^ 陳琳.   檄吳將校部曲文. 維基文庫, 44. 
  48. ^   大有. 維基文庫, 14. 
  49. ^ 小學館 1994〔天皇〕後醍醐(ごだいご)〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による〔改元年月日〕元応(げんおう)3年(1321)2月23日元亨と改元、元亨4年(1324)12月9日正中(しょうちゅう)と改む〔出典〕『易経』彖(たん)上の「其徳剛健而文明、応乎天、而時行、是以元亨」による.
  50. ^   釋魚 第十六. 維基文庫. 
  51. ^ 小學館 1994〔天皇〕後柏原(ごかしわばら)〔改元理由〕即位、辛酉(しんゆう)革命による〔改元年月日〕明応(めいおう)10年(1501)2月29日文亀と改元、文亀4年(1504)2月30日永正(えいしょう)と改む〔出典〕『爾雅(じが)』巻10釈魚の「一曰神亀、二曰霊亀、三曰摂亀、四曰宝亀、五曰文亀」による.
  52. ^ 52.0 52.1 52.2 小學館 1994〔天皇〕後柏原(ごかしわばら)〔改元理由〕甲子(かっし)革令による〔改元年月日〕文亀(ぶんき)4年(1504)2月30日永正と改元、永正18年(1521)8月23日大永(たいえい)と改む〔出典〕『易緯』の「永正其道、咸受吉化、徳弘(施)四海、能継天道」によるという.
  53. ^ 53.0 53.1 53.2 53.3 53.4 森本 1933,第264頁.
  54. ^   六藝四上. 維基文庫, 4. 
  55. ^ 55.0 55.1 小學館 1994〔天皇〕後柏原(ごかしわばら)、後奈良(ごなら)〔改元理由〕兵革、天変による〔改元年月日〕永正(えいしょう)18年(1521)8月23日大永と改元、大永8年(1528)8月20日享禄(きょうろく)と改む〔出典〕『杜氏(とし)通典』の「庶務至微、至密、其大則以永業」によるという.
  56. ^ 曾鞏.   乞賜唐六典狀. 維基文庫, 34. 
  57. ^ 程頤.   伊川易傳卷二. 維基文庫, 2. 
  58. ^ 小學館 1994〔天皇〕後奈良(ごなら)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕大永(たいえい)8年(1528)8月20日享禄と改元、享禄5年(1532)7月29日天文(てんぶん)と改む〔出典〕『易経』大畜卦彖程(だいちくかたんてい)氏伝注の「居天位、享天禄也」による.
  59. ^ 孔安國.   卷第三. 維基文庫, 3. 
  60. ^ 小學館 1994〔天皇〕仁孝(にんこう)〔改元理由〕不明〔改元年月日〕文化(ぶんか)15年(1818)4月22日文政と改元、文政13年(1830)12月10日天保(てんぽう)と改む〔出典〕『書経』舜(しゅん)典の注「舜察天文、斉七政」による.
  61. ^ 小學館 1994〔天皇〕後奈良(ごなら)〔改元理由〕兵革による〔改元年月日〕享禄(きょうろく)5年(1532)7月29日天文と改元、天文24年(1555)10月23日弘治(こうじ)と改む〔出典〕『書経』舜(しゅん)典の「以斉七政」の注「舜察天文、斉七政」による.
  62. ^ 李百藥.   北齊書. 維基文庫. 
  63. ^ 小學館 1994〔天皇〕後奈良(ごなら)、正親町(おおぎまち)〔改元理由〕兵革による〔改元年月日〕天文(てんぶん)24年(1555)10月23日弘治と改元、弘治4年(1558)2月28日永禄(えいろく)と改む〔出典〕『北斉書』の「祇承宝命、志弘治体」によるという.
  64. ^ 魏徵.   卷第二十六. 維基文庫, 26. 
  65. ^ 小學館 1994〔天皇〕正親町(おおぎまち)〔改元理由〕即位による〔改元年月日〕弘治(こうじ)4年(1558)2月28日永禄と改元、永禄13年(1570)4月23日元亀(げんき)と改む〔出典〕『群書治要』巻26の「能保世持家、永全福禄者也」による.

參考書籍

參見