陸軍重砲兵學校
概要
1889年3月27日在現在的千葉県市川市国府台創設要塞砲兵幹部練習所。1896年5月15日改称陸軍要塞砲兵射撃学校。1897年移驻神奈川県三浦郡浦賀町馬堀的新校舎。1908年1月15日改称陸軍重砲兵射撃学校。1922年8月10日改称陸軍重砲兵学校。
培养対象为砲兵大尉及砲兵科士官。教育分为甲種、乙種、丙種、丁種学员,开设课程包括射撃戦術、射撃術、砲塔術、観測術、通信術、要塞電灯術等。
戦後,1947年日本大学获得了重砲兵学校跡地作为开设農学部水産学科[1]、1949年增设了日本大学横須賀高等学校[2]、1951年4月大部分用地返还给大藏省關東財務局[1]、剩余用地为臨海実験所1972年2月に廃止された[3]。現在为馬堀自然教育園。
所在地
歴代校長
要塞砲兵幹部練習所長
- 太田徳三郎砲兵中佐 1889年3月28日 -
- (心得)新井晴簡砲兵少佐 1890年10月15日 -
- 新井晴簡 砲兵中佐 1890年11月10日 -
- (兼)新井晴簡 砲兵中佐 1891年3月31日 -
- 和田由旧砲兵中佐 1892年8月11日 -
- 豊島陽蔵砲兵少佐 1894年4月23日 - 1895年11月28日
- 和田由旧 砲兵大佐 1895年3月26日 -
要塞砲兵射撃学校長
- 和田由旧 砲兵大佐 1896年5月15日 - 10月17日
- 豊島陽蔵 砲兵中佐 1896年10月20日 -
- 山口 勝砲兵中佐 1899年10月28日 - 1901年7月5日
- 江藤鋪砲兵中佐 1901年7月9日 - 1903年12月1日
- 酒井甲子郎砲兵中佐 1903年12月1日 -
- 江藤鋪 砲兵大佐 1906年3月6日 -
- 筑紫熊七 大佐 1907年10月28日[4] -
重砲兵射撃学校長
- 筑紫熊七 大佐 1908年1月25日 -
- 横山彦六大佐 1913年7月3日 - 1916年8月18日
- [渡辺岩之助少将 1916年8月18日 - 1918年7月24日
- 藤津準一少将 1918年7月24日 -
- 吉田豊彦少将 1919年1月31日 -
- 今西甚五郎大佐 1921年5月5日 -
重砲兵学校長
- 今西甚五郎 少将 1922年8月9日 - 1923年8月6日
- 緒方勝一少将 1923年8月6日 -
- 石川漣平少将 1924年2月4日 -
- 金子直少将 1926年3月2日 -
- 井上達三少将 1928年8月10日 -
- 石川漣平 中将 1929年8月1日 -
- 井上達三 少将 1930年8月1日 -
- 郷竹三少将 1932年12月7日 -
- 時乗寿少将 1933年9月8日 -
- 河村恭輔少将 1934年8月1日 -
- 上村清太郎少将 1935年8月1日 -
- 木本益雄少将 1936年12月1日 -
- 太田勝海少将 1938年6月18日 -
- 澄田𧶛四郎 少将 1939年10月2日 -
- 柳川悌少将 1940年9月28日 - 1942年4月1日
- 伴健雄中将 1942年6月26日 -
- 加嶋三郎少将 1943年3月25日 -
- 欠員 1944年6月26日 -
- 大坪一馬少将 1944年12月2日 -
- 北島驥子雄 中将 1945年3月19日 -