渡邊暢(わたなべ とおる / のぶ,1858年5月20日安政5年4月8日[1]) - 1939年昭和14年)5月24日[2])是日本法官政治家貴族院議員。旧佐倉藩士。

渡邊暢

簡歷

1858年(安政5年),出生於在下總佐倉藩擔任家老,並代代擔任城代一職的家族。之後進入司法省法學校。與將來的法學者寺尾亨是法學校同窗同學和朋友,並與他的妹妹,達子結婚[3]1884年明治17年)畢業後成為司法官,並陸續擔任過東京控訴院法官千葉仙台橫濱東京等各地方法院院長。

之後就任朝鮮大審院院長,日韓合併後,擔任朝鮮高等法院院長。擔任高等法院長時,負責審理三一運動的指揮者們。雖然被告們被起訴叛亂罪,但包括渡邊在內的法官們卻只判處被告們公然聚眾施強暴脅迫的輕罪,讓他在八十年後因此受到高度的評價。

退休後,他在1924年(大正13年)1月2日,被選任為貴族院勅選議員 [4][5],同年,他在治警事件中,擔任蔣渭水等13名台籍被告的辯護律師,還替遭到判刑的被告等人上訴到最高法院。

1939年,他於貴族院議員任期中去世[2][6]

榮耀

位階
獲得的勳章

親族

出處

  1. ^ 『貴族院議員氏名表』貴族院彙報附録,昭和2年12月20日,27頁。
  2. ^ 2.0 2.1 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』180頁。
  3. ^ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 東京天文台初代台長寺尾寿の家系図を入手 - 国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室新聞 第65号(PDFファイル
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂,32年。
  5. ^ 『官報』第3408号,大正13年1月4日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂,46年。
  7. ^ 『官報』第1017号「叙任及辭令」1915年12月21日。
  8. ^ 『官報』第4350号「叙任及辭令」1898年1月4日。
  9. ^ 『官報』第5243号「叙任及辭令」1900年12月21日。
  10. ^ 『官報』号外「叙任及辭令」1907年3月31日。
  11. ^ 『官報』第1310号・付録「辭令」1916年12月13日。
  12. ^ 『官報』第2520号「叙任及辭令」1920年12月24日。
  13. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞寶章受章者一覧(戦前の部)

參考文獻

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂,貴族院事務局,1947年。
  • 眾議院參議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。

關連文獻

  • 李省展『アメリカ人宣教師と朝鮮の近代―ミッションスクールの生成と植民地下の葛藤』社会評論社,2006年。

関連項目